2012年03月07日 13:30
その後、多賀城駐屯地へ。この駐屯地は津波で40%ほどの敷地が水没しながらも救助にあたった。
ここで陸自から見た震災を連隊長から直々に聞くこととなった。
地元に住む隊員が過半数を占めるため、自衛隊員も被災しているケースが多かった。しかし、緊急招集によりすぐさま救助に当たっている。 つまり、多くの隊員が家族の安否を確認できないまま救助に参加しなければならなかった。
ある隊員は震災後、妻から電話があり「助けて…」とか細い声が聞こえるとともに電波が途絶え直後に緊急招集がかけられ、己を捨てて救助に当たった。
ある隊員は3歳になる我が子の安否がわからぬまま、救助活動に専念していたが、我が子と同じぐらいの歳であろうご遺体を収容するのに耐えるしかなかった。
さらに、若い隊員は親族をなくした経験がないものが多く、初めて見る死体というものが、津波によるご遺体であったため、精神を病んでしまう隊員も多くいた。
自衛隊員だって人間なのに、被災しているのに、辛い思いを背負いながら救助に当たってくださっていたのか。自分の想像力のなさを恥じた。